キリスト教の同性愛への対応はどうなる?

キリスト教は、同性愛を禁止する宗教として知られています。 キリスト教の影響が多大な欧米諸国が、現在最もLGBTに寛容な地域であろうと推測できますが、やはり自分がLGBTであることに悩むキリスト教徒がいるのです。

キリスト教徒が同性愛を認めない理由

キリスト教は、同宗教が長らくタブーとしてきた同性愛について、何らかの回答を迫られているのをご存知ですか?フランス政府が教皇のいるバチカンに、ゲイを公言するロラン・ステファニー二氏を大使として送ることにしたのです。フランスと言えば敬虔なキリスト教の国。ロラン・ステファニー二氏も、例外なくキリスト教徒。

フランスが同性婚を合法化した際も、批判的な立場だったバチカンが、ロラン・ステファニー二氏を大使と認めれば、バチカンは初めて同性愛者を公的に認めたことになります。

国際的な情勢に反して、キリスト教がこれほどまでに同性愛に否定的なのは、聖書に同性愛を禁止するとはっきり書いてあるからです。旧約聖書のレビ記に「女と寝るように男と寝る者は両者ともに厭うべきものであり、必ず処刑に処せられる」と明記されています。

昔は結婚とは、子供を生むための契約であり、性行為は子供を作るためだけのものでした。子供ができるということは神様に祝福されていることを意味しており、子供ができない避妊での性行為や、同性間での性行為は認められないのです。

ちなみに、同性愛でも聖書で触れられているのはゲイに関してのみで、レズビアンについては記述がありません。これは、レズビアンに関しては認めているということではなく、女性に関してはそもそもパートナーを選ぶ権利がなかったからです。結婚前は親のもので、結婚してからは夫のものだった女性は、常に誰かの所有物だったので、同性愛者であること以前に女性であることで差別されていたのです。

ローマ教皇が同性愛に貢献?

聖書にははっきりと同性愛を否定する文言が書かれていますが、莫大な数がいるキリスト教徒の全員が異性愛者であるわけではありません。日本にもLGBTに寛容なキリスト教の教会もありますし、LGBTのキリスト教徒に向けた書籍も販売されています。

2013年には、フランシスコ法王が同性愛について画期的なスピーチしました。「清廉な心を持ったゲイがいたとする。彼がキリスト教徒だったとして、彼を非難する私は何者なのだろう?そんなことで人を非難すべきではない」という考えのもと、LGBTの人を訪問し、励まし続けていました。こうした行動の結果、ゲイ雑誌のアドヴォケートがLGBTコミュニティーへ貢献したとして、フランシスコ教皇を表彰しました。

日本では、宗教概念が欧米諸国と異なるので、自分が信仰する宗教で否定されているから、悩むというのはピンとこないかもしれません。日本人で仏様がダメって言ってるからLGBTはダメと考える人はほとんどいないでしょう。子供が悪戯をすれば、日本では「人が見てるよ」「誰もそんなことしないよ」などと言ってたしなめ、欧米諸国では「神様が見てるよ」と言ってたしなめます。

つまり、キリスト教は日本で言う倫理や良心を形成に関わっているのです。実際、日本でセクシュアルマイノリティで悩むのは、多くの場合が、自分が少数派で他の人と違うという点。 日本で言う人や世間と、ヨーロッパの神様には、同じような機能があると言えるのです。

しかし、実際キリスト教で同性愛を禁止している聖書はただの文字。解釈の仕方で結論が変わってきます。字面だけを捉えるのではなく、書かれたコンテクストを考慮にいれ、それを書いた真意から考えるべきではないでしょうか。