愛の形が違うということ

恋愛とは、自分が愛したパートナーとより良い関係を1人1人が模索していくもの。そのため、愛の形はそれぞれ違うということが当たり前に認められているように感じます。恋愛ハウツーでも、お互いを思い合って、それぞれに心地いい関係を築きましょうというアドバイスは定番です。

しかし、決まった形はないと声高に叫ばれる恋愛にも暗黙の垣根が存在します。それは性別。今はボーイズラブや、オネエと呼ばれるジャンルの著名人の活躍で同性愛を認める人が多くなりました。ほんの少し前までは生涯ひた隠しにしなければならない事柄だったのに。

同性愛は治療が必要?

かなり容認されるようになったとは言え、同性愛はまだ異常、変態、病気という認識を持っている人もいます。ほんの数年前まで、辞書ですら同性愛を異常な性癖や倒錯といった言葉で定義していました。この定義の根拠は19世紀に医師や心理学者、生物学者などの有識者によって、同性愛者は治療すべきものとなったからです。

同性愛者に同性のヌードを見せて反応すれば、電気を流すといった拷問としか言えない治療法まで横行しました。美しいと思えば電流を流されるのですから、自分の気持ちを押し殺すしかありません。少数派であったために、同性愛者は同性を美しい、愛おしいと言えなかったのです。

1973年になると、ようやくアメリカが精神障害診断基準から、同性愛の項目を削除しました。その後WHOも「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とならない」と発表しました。同性愛に関して最も動きが早かったアメリカですら、同性愛を認めて40年しか経過していません。しかし、日本ではこれよりもずっと遅れてなんと95年に精神神経医学会が治療対象ではないと宣言しました。

病気ではないと判断されて、まだ20年あまりしか経過していないのです。同性愛=異常のイメージがまだ払拭されず、同性愛の本人もまるで悪いことのようにひた隠しにしがち。異性が恋愛対象の人も周りに同性愛者がいることに気づかないので、同性愛は普通じゃないとの認識が強まり、悪循環に陥りやすいのです。

人の感情ははっきり分類できない

そもそも、同性愛者も、異性のパートナーを求める人たちと同じように同性かどうかで関わり方を変えたりしません。人と出会い、愛情を持てれば恋愛に発展します。同性だから、必ず恋愛対象になるわけではないのです。

現在では同性愛は人間の性的指向のパターンの1つとして定義されています。そもそも人間は有性生殖で繁殖し、1人1人の多様性を進化の足がかりにする生物です。性的指向も同様で、古来よりあらゆる人間が、単一的に異性に愛情を向けるようプログラムされているわけではありません。同性指向と異性指向が1人1人の中でさまざまなパーセンテージで存在しており、自分の気持ちや周りの指図で簡単に変えられものではないのです。

人は親しくなった相手に、自分の気持ちを寄せます。その気持ちは人それぞれですが、愛情や友情、同情、尊敬と、誰にでも理解できるように名前をつけたくなります。なぜなら、気持ちは自分の心に直接繋がるものだから。理解されない気持ちは、気持ち悪い、変だよ、などと否定される原因になりますが、心を否定されれば誰だって深く傷つきます。否定されないように、周りの人にわかってもらえる名前をつけて安心したいのです。

大多数の普通の感覚を持てない自分を治したいと思うのはただの自己否定。 もともと気持ちや心というのは完璧に理解できるのは本人だけです。それをふんわりと、共通の認識ができるツールが言葉。他人に伝えるためのツールで分類するのではなく、分類にとらわれない自分の感覚を大切にしましょう。