同性愛と女性の社会進出は似ている?

進化論で有名なダーウィンは、生き物を遺伝子情報をのせた乗り物と定義しています。全ての行為は繁殖が目的になっていて、この原則に反することはしないという考え方です。同性でカップルになるということは、繁殖できないということになるので、一見すると種の繁栄の妨げになるようにも見えます。

しかし、動物でも多くの種類が同性でカップルとして生きたり性行動したりする様子が確認されています。自然界でも同性愛は当たり前に存在するのです。

同性愛と女性の社会進出は生物学的に間違っている?

「男性は外で狩りをして、女性は子供を育てて家事をしてきたのが、古来からのならわし。だから女性が外で男性と同じく働くのは生物学的に不自然。」このように、女性の社会進出と同様に、まだ同性愛は生物学的に否定され続けています。

実際の野生動物の繁殖事情は、数少ない雄を巡って雌が争ったり、環境によって雌雄が変化したり、交尾しなくても繁殖できるにも関わらず、雌同士で性行動したりします。 生物学的には同性愛は不自然どころか、そもそも雄だから雌だからといった垣根すらグラグラ。同性愛などよくあることなのです。

実際のところ、同性愛に関しても、女性の社会進出に関しても、こうした論調を反論する材料はいくらでもあります。それなのにいざ何かを批判するときに自然の摂理や、生物学を根拠にするのは、権威をよりどころにして論理を正当化しようとするからです。

都合よく引き合いに出される学問や自然は迷惑なことでしょう。しかし、ここまで性別の垣根がぐらつくと別の疑問がわきます。他の生物の同性間の性行動を、人間と同じように考えてもいいのでしょうか。

動物を同性愛カップルと論じていいのか

確かに同性同士でカップルのように寝食をともにし、愛情表現をする動物が1,500以上確認されています。自然界の掟に則って生きている野生動物たちでも同性愛のカップルがいる、となれば同性愛を認められるべき正しいことのように感じる人もいるでしょう。

逆に人間と野生動物は違う、と頑なに嫌悪し続ける人もいるかもしれません。しかし、そもそも自然にあるから正しい、愛があるかどうかなど、受け入れるための理由、または受け入れないための理由を探すのはそもそも人間だけです。

動物の同性愛のカップルを分析した研究では、パートナーを獲得する争いに勝てるだけの攻撃性がない、コミュニティーのストレスを発散するためなど、さまざまな観点から分析されています。しかし、異性をあてがわれて、電流を流されても同性のパートナーから離れなかったペンギンもいます。

人間に置き換えてみるとどうでしょうか。例えば、愛したパートナーに近づこうとする度に電流を流されるような状況だったら、いくら愛がある異性愛者でも、パートナーから離れていくことがほとんどではないでしょうか。

彼らと会話することは少なくとも現代では叶いませんから、事実をもとに推測するしかありません。動物だから本能に従って生きていると、そこに愛はないと人間を特別扱いすることも可能です。しかし、拷問まがいのことをされても、パートナーから決して離れないこと自体が、すごいことです。少なくとも、拷問されても離れたくない何かが、パートナーとの間にあったのでしょう。

自然の摂理や法則は誰かの意見や価値観のためにあるわけではありません。ただあるように、あるだけです。無理に正しいか正しくないかを、人間という種の心理として定める必要はないのです。